徳島屋の沿革

おかげさまで半世紀

徳島屋の歴史は昭和29年(1954年)から始まります。創業者である片山晴雄(現取締役会長)は徳島県阿南市の山村で8人兄弟の4番目として生を享けるも、口減らしで子に出され戦中の幼少時代を過ごしました。
昭和23年新制中学卒業後、都会にあこがれ大阪を目指します。 当時の電電公社(現NTT)の採用試験を受けるも夢叶わず徳島へ逆戻り!しかし都会への夢を捨てきれず松屋町の河野商店(昆布商)で丁稚小僧として大阪での生活をスタートさせました。時代とはいえ、朝5:00から夜10:00に及ぶ過酷な労働時間にくわえ3年間休日なしで、初任給が800円。年季の明ける昭和29年秋 独立準備のため同店を退職。

昭和29年暮れも押し迫る12月 大阪市福島区吉野において僅か1.5坪の徳島屋を創業し、年明け郷里より実弟5男(現取締役専務)を呼び寄せ削り節:だし昆布の専門店として事業をスタートさせました。
しかしそこに待ち受けていたのは独立開業という華やかな言葉とはうらはらな丁稚時代以上に過酷な厳しい現実でした。かつおを蒸し上げるための灯油は毎日一升瓶で買いに走り、一丁の豆腐を兄弟で分け合い食いつないだ日々がいたずらに時を重ねました。

昭和31年の神武、33年の岩戸景気にあとおしされ、33年には伴侶を得、35年には事業拡大にともない福島区鷺洲へ工場:事務所兼住宅として移転し販路拡大に注力。現在に至ります。

年表

  主な出来事 当時の世相
昭和35年 ホンダスーパーカブ購入 池田内閣(所得倍増計画)発表
昭和36年 長男 実(現代表取締役)出生 ダッコちゃん人形ブーム
昭和37年 事業拡大に伴い郷里より実弟7男を
呼び寄せる
キューバ危機
昭和39年 念願の四輪車購入 東京オリンピック開催
昭和42年 工場改築 ボウリングブーム
昭和47年 新規機械搬入に伴い:倉庫増改築 札幌冬季オリンピック開催
昭和57年 事業拡大に伴い本社社屋新築 ホテルニュージャパン火災
昭和58年 片山実入社 東京ディズニーランド開園
平成元年 法人として改祖 消費税スタート(3%)
平成9年 機械増設により生産能力拡大 消費税引上げ(5%)
平成10年 片山実代表取締役就任 長野冬季オリンピック開催
平成14年 隣接地へ第2工場:配送センターを
設ける
日韓ワールドカップ開催

次の50年へ

  主な出来事 当時の世相
平成16年
11月
創業50周年記念事業として
ホームページを 立ち上げる
新潟中越地震
平成18年
8月
鷺洲3-7-7隣接地へ事務所及び
テストキッチン増築
WBC王ジャパン優勝
平成19年
6月~
平成20年
4月
品質及び 生産効率向上の為の
各種機械設備の 新設及び増設が
完了
北京オリンピック開催、リーマンショック
平成22年
5月
鷺洲3-7-6隣接地へ出荷作業場及び
地下熟成倉庫増築
FIFAワールドカップ決勝トーナメント進出
平成22年
12月
ホームページリニューアル、
現在に至る
宮崎で牛の口蹄疫発生、参院選で民主党敗北によりねじれ国会

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